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公民権運動の概要


ここで目覚しい発展があったのですね。
これには驚くばかりです。


1955年12月1日アラバマ州モンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師らが1年にわたるバス・ボイコット運動を展開し、1956年に合衆国最高裁判所がバス車内における人種分離を違憲とする判決を出すと、南部諸州各地で黒人の反差別運動が盛り上がりを見せた。これらの運動は黒人をはじめとする有色人種がアメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的としていたので、公民権運動と呼ばれる。

キング牧師らが著名な指導者となったが、数多くの組織や他の有色人種や白人を含む個人が参加して行われたもので、運動の形態も、訴訟、街頭でのデモからレストランでの座り込みに至るまで多岐に渡った。これに対して警察当局は治安維持を理由にデモ隊を過酷に弾圧するなどしたため、黒人暴動に発展することもしばしばであった。

これらの公民権運動は数十万人の参加者を集めた1963年のワシントンD.C.における大行進で最高潮に達した。この時、キング牧師が行ったI Have a Dreamの演説は、アメリカの歴史に残るものとして有名である。

当時のジョン・F・ケネディ政権は公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離法(一般にジム・クロウ法と総称される)を禁止する法案を次々に成立させた。ケネディが1963年11月に凶弾に倒れると、ケネディを継いだ、同じく公民権運動に同情的であったリンドン・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。

また、その後ジョンソン政権下では積極的に黒人の社会的、経済的地位を向上させるために、役所や企業、大学に黒人を優先的に(若しくは白人と同数)採用することを義務付けるアファーマティブ・アクション政策が取られた。一方、黒人運動はキング牧師の暗殺(1968年)によって平和的・合法的な反差別運動から過激な運動(1965年に暗殺されたマルコムXの影響が強いとされる)へと変化していく。

キング牧師の暗殺直後、全米125の都市でいっせいに暴動が発生し、トリニダード・トバコ生まれのストークリー・カーマイケル率いる急進派の学生非暴力調整委員会(SNCC)や、共産主義の影響を受け、都市部のゲットーにおける自衛闘争の開始を主張したブラックパンサー党、黒人による独立国の樹立を目指した新アフリカ共和国(Republic of New Africa)といった過激派の政党が現れ、闘争を継続したが、1970年代中頃になって運動は沈静化した。

いまだにアメリカ国内において、アフリカ系アメリカ人をはじめとする少数民族に対する人種差別はなくなっていないものの、公民権法の施行による法的側面からの人種差別撤廃の動きを前進させた意味は大きいといえる。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年02月15日 19:21に投稿されたエントリーのページです。

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